能登島を知る

能登島の暮らし

豊かな自然に囲まれた能登島。能登島の暮らしをテーマに、島で暮らす方にインタビューを行いました。
普段の生活の様子だけでなく、島が直面している課題や、未来の能登島への願いについても語っていただきました。

島の宿 えのめ荘 加地美紀さん

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こんないい島はない

能登島の東側、鰀目(えのめ)集落。穏やかな海と山に囲まれたこの場所で、30年にわたり旅人を迎えてきたのが民宿「えのめ荘」だ。宿を切り盛りする女将は、生まれも育ちも能登島。島の自然とともに生きてきた。
「子どもの頃は、海猿山猿でしたね」
そう笑って振り返る女将の幼少期は、自然そのものだった。海に入り、山を駆け回り、能登島の四季を体で覚えて育った。しかし高校卒業後、能登島を離れる。横浜、そして静岡で約20年間、接客業に従事した。
「一度、島の外に出たからこそ、能登島の価値を再認識できたんだと思います」

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今から15年前、女将は能登島に戻り、えのめ荘を引き継いだ。えのめ荘がオープンしたのは30年前。当時は観光地として勢いがあり、宿が最も賑わっていた時代だった。
「私が戻ってきた頃には、以前のような賑やかさはもうなかったですね」
30年前の客層は、釣り人が中心。旅館が釣り船を出し、釣った魚をそのまま捌いて夕食に出す―そんな光景が当たり前だった。
「今は釣り船を出す旅館も減りましたし、お客さんの目的も変わってきました」
現在は、「能登島に来れば美味しいものが食べられる」という食事を目的とした客層が増えているという。新鮮な魚と、ボリュームのある料理。それが能登島の宿の大きな魅力になっている。

この島を守りたい

女将の原動力は、シンプルだ。
「自分が生まれ育った場所を守りたい。こんないい島はない、と思うからです」
地震前から、年齢的なこともあり事業承継は考えていた。地震後も、その思いは変わらない。
「自分の代で終わりにしたい、という方もいます。でも私は、なるべく残していきたい」
大切なのは、“誰かに引き継ぐ”ことではなく、思いを共有できる人と続けていくこと。
「自分がいいと思った能登島を残したい。その気持ちに共感してくれる方と一緒にやれたら一番いいですね」

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えのめ荘が大切にしているのは、宿泊サービスの提供だけにとどまらない。子どもたちに魚の捌き方を教えたり、島の食材を使って押し寿司を一緒に作ったりと、食を通じた体験を行っている。ほかにも、干物作りやタケノコ掘りなど、季節ごとの自然と関わる体験も積極的に取り入れている。
「体験を通して、能登島の文化や自然を知ってもらいたいんです」
それらは特別な観光プログラムではなく、女将自身がかつて当たり前のように過ごしてきた能登島の暮らしそのものだ。日常に根付いた営みを伝えることが、島の魅力を深く知ってもらい、次の世代へと受け継いでいくことにつながっている。

干物づくりに宿る、漁村の記憶

現在、女将は旬の魚を干物や冷凍フライに加工し、商品化することも視野に入れている。能登島東側の鰀目や野崎は、風の回り方や潮のあたり方に恵まれ、昔から干物作りに適した土地として知られてきた。この地域では、各家庭が軒先に魚を干し、漁村ならではの風景が日常の一部として広がっていたという。
「今は自分で作るようになってから、猫と戦いながら干す場所を変えたりしてますけどね」
使う魚は、大漁の際に市場へ出しきれなかった「かぶし」を分けてもらうことも多い。獲れたものを無駄にせず、工夫しながら活かす知恵もまた、能登島の暮らしの中で受け継がれてきた文化のひとつである。

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10年後のえのめ荘、そして能登島

10年後、どんな姿でいたいですか?
「思いに共感してくれる方と一緒に旅館を続けながら、能登島を盛り上げる活動ができていたら嬉しいですね」
お客さんや、能登島で出会った人にも声をかける。「一緒に旅館をやらない?」と、少しずつ仲間を増やしていく。
「昔のように、きれいな景観を持つ能登島を取り戻したい」
女将の言葉は、決して大きな夢物語ではない。日々の暮らしと仕事を積み重ねた、その先にある未来だ。えのめ荘は今日も、能登島の恵みとともに、人を迎え入れている。

えのめ荘ホームページ